CBR2が運んでくる過去

 あれから8年の月日が流れ、わたしは30歳になった。結婚もしたし、転勤もした。いろんな経験をしてあのときの自分とは変わってしまった。だけど、未だに街中でホンダCBR2を見かけると、はっとする。一瞬、時が戻るような感覚。そして、そのライダーがその人かどうか、確かめたい気持ちと、わたしがいまここで生きているということを知られたくない気持ちになって、少し息が止まる。こういうのを、未練っていうのだろうか?それともトラウマ?わからない。昔話はするのも聴くのも好きだけど、今回は全く楽しくない昔話をさせて欲しい。


 その人は、わたしの保護者のようでいて、子どものようで、上の、あるいは下のきょうだいのようで、ペットのようでいて、飼い主のような、そんな存在だった。わたしはその人の所有物であり、またその人の所有者だった。

 

 

 人はそれを、「共依存」と言った。

 

 

 本当にあきれるくらいによくある話だが、少しだけ書かせてほしい。

 

 大学2年のとき、ちょっとした気まぐれで入部したサークルで、わたしたちは出会った。その人は一年生。後輩だけど、向こうの方が部内ではちょっぴり先輩で。初めてその人に出会ったときは、「なんて線の細い人なんだろう」と思った。その人はとても優しくて、バイクに乗っていて、シャイなくせにちょっとだけキザで、誰も呼ばないわたしのファーストネームを、ぼそぼそと呼んだ。白い肌に長い前髪、長い指がとても魅力的な人だった。友達が少なく、自分を開くことが苦手なくせに、わたしの前だけは怒ったり、涙を流したりした。初めてうちに泊まった日「あなただけだよ」と囁いた。心配性で、わたしがアルバイトの日には、きちんと家まで帰れたか必ず電話をかけてきた。


 はじめのうち、わたしはまるで少女漫画の主人公のように熱に浮かされていた。いつもいつもわたしのことばかり考えてくれている、いつもわたしを心配してくれているんだね。わかった、わたしも同じだけあなたのことを想うようにするね。

 

 だけどその「想うこと」が「義務」に、「心配」が「鎖」に変わるのに、そう時間はかからなかった。そもそも「習慣」とか「きちんと」とか、そういうことが苦手なわたしが、毎日同じ暮らしをできるわけがなく、もちろん「毎日の報告」みたいなやりとりが続くわけもなく、「心配」は頻度が増え、やがで過剰になり「束縛」になった。 

     おめでとう、君への「愛」は、「束縛」に進化したよ!

 •••いやほんとに、おめでたくもなんともなくて、「愛されてる」が、「ウザ」になり、「信用されていない自分」になり。どんどんなくなっていく心地よさ。なんだっけ、付き合うってこういうことだっけ?

 

 「疑う」のは「自信がないから」でしょう?あなたは自信がないんでしょう。だから、なにもかもわたしのせいにして、わたしを疑って、わたしを悪者にして、そして保っているんでしょう。あなたの自身の問題に、わたしを巻き込まないで。頭ではわかっていても、言えなかった。だって、その人が怒るのはきっとわたしのせいだから。わたしさえ、ちゃんとすればいいんだから。

 

 一体何度、「別れよう」「やっぱり戻る」を繰り返しただろう?5回目から、数えるのをやめた。数えたってどうせ失敗で終わるから。一体何人から、「そんなやつやめときな」と諭されただろう?やがて、友達に相談することをやめた。私がその人を庇い始めると、せっかく楽しい時間も気まずくなってしまうから。

 

 不快より不安が強くて。なぜか「この人しかいない」と信じていた。 

 

  今思えば、わたしも自信がなかったんだと思う。こんなにだらしなくて人の気持ちが考えられなくて、好きな人を傷つけてしか生きていけない自分に、この先こんなに時間を割いて気にしてくれる人なんてきっといない。だから、この人と別れるときはどっちかの命がなくなる時だ。

 

 いや冗談じゃない、って今なら思うけど、ほんとにバカみたいだと思うけど、いや実際バカだったけど、その時は真剣だった。そうやってズルズル関係を続けて4年、そのうち1年半はその人はうちに転がり込んできて一緒に暮らして。イライラすることの方が多かったけど、笑って暮らして。一緒にご飯も食べて、出かけた、と思う。もうほとんど覚えてないけど。

  全ての思い出が過去形で、というか全ての思い出とかいうほどわたしの脳には思い出は残ってなくて。じゃあなんで今こんな作文書いてるかっていうと、数少ない思い出の中で、残ってるのがエヴァの破を一緒に見たことだったから。次回作も一緒に見ようね、とか言って結局Q公開直前に別れてしまって、一緒に見にいかなかったな、っていう思い出が、この感染症大流行のさなかに思い出されて。新作見る前に、過去作見返さなきゃな、って序、破、って見るにつれ、エヴァよりも当時の気持ちが大きくなってきて。

 

 こんなに共依存している二人、どうやって離れたかって、もう簡単すぎてほんとに嫌になるんだけど、「金の切れ目は縁の切れ目」でした。

 その人が、通っていた大学を留年して。わたしの部屋に入り浸って昼夜逆転しながらいつの間にか運び込んだ大きなデスクトップで、夜な夜なソシャゲをやって、わたしが家を出るときは寝ていて、夕方ごろ起きて、わたしが勤務時間を超えて帰ってくれば「こんなに遅くなるなんて浮気に決まってる」「仕事仕事って言って、毎日やらなくていいことばっかりしてるんだから、二人の関係なんてどうでも良くなった?」「なるほど、親がその職業だったら子どもはグレるってよく聞いたけど、ほんとだね」「一緒に食べようと思って作ったごはん、あなたのせいで冷めちゃった」って、毎日毎日言われて。あるとき、プツンとわたしの何かが切れて、「これから一週間、家開けるから。その間に出てってね」と宣言して友達を連れて半ば無理やり旅行に出掛けて。そしたらほんとにいなくなっていて。なんて簡単なの、って拍子抜けした。

 それ以降は、本当にモノの受け渡し以外の一回しか会わなくて。よくあるお話は、結末までお粗末だった。どんなにメルヘン語ったって、どんなに脳内お花畑になったって、結局ご飯食べられなかったらそんなの二の次三の次になってく、ようです。

 

 もっと上手にさよならしたかったな。だけど、二人とも、ひどく幼くて。

 綺麗な終わり方なんてできなかったよね。

 

 今でも、街でCBR2の赤いボディとすれ違うと、少し息が浅くなる。なんだろう。バカみたいだけど、いや実際バカなんだけど、過去に引っ張られるような気持ちになる。あの時の楽しかった思い出や、相手を思う気持ちなんてすっかり忘れたはずなのに、あなたの長いまつ毛や、細くて長い指、そして下手くそな笑顔が無性に思い出されて、息が浅くなる。わたしが過ごした8年は平等に二人の間に流れていて、きっと会ってもお互いのことなんてわからない。でも、それでいい。赤くてピカピカしたCBR2だけが今も鮮明にわたしの中に残っている。

 

2021/5/9

 

歩み寄って、離れて

 今日はその人の舞台を見に行った。いつもと違う舞台で、いつもと違う演者に囲まれての舞台だったので、萎縮しやしないかと心配したが、その心配は無用だった。いつも通りのその人の舞台だった。良い意味でも悪い意味でも、いつも通りだった。

 その人の舞台を見て、安心して、同時に嫉妬した。少し前までは同じ方向を向いていたと思っていたのに、二人の今は、こんなにも違う方向を向いている。そのひとの行く道のほうが、わたしのこの道よりも輝いて見えた。自分が、かすんだような気がした。そして、そう感じた自分にいらついた。

 

 思えば、わたしはその人と一緒に成長してきた。わたしたちはいつも近くにいて、いろんなことについて話した。大抵の場合、わたしは声をつかって話すよりも筆談やメールを好んだ。方言が抜けきれないわたしはそのことを少なからず気にしていたし、もともとの言い過ぎる性格を自覚し始めていた。そして文字で伝えることは、その両方を和らげると信じていた。反対に、その人は筆談やメールを好まなかった。その人は単語で会話をしようとするきらいがあり、筆談やメールの場合もそのスタイルを貫いたため、その人の言葉はまるで暗号だった。わたしは主語や目的語がない曖昧な文章のなかの、含まれた意図を読み取ることが本当に苦手だったため、文字での会話はお互いをいらつかせた。

 

 その人と話すと、違う自分を見ているようだった。言葉の不器用さや思考の幼さが似ていた。どちらかが話す時、もう片方は兄または姉、時には親のような気持ちで片方の話をきいた。ふたりとも、下に何人かの兄弟をもっていた。

 困ったことき、だれかに肯定してほしいとき、とにかく聞いてほしいとき、お互いを頼った。でも、必ずしも、自分の求めている答えを言ってもらえるとはかぎらなかった。お互いに自分の意見をはっきりと相手に言ったし、相手の主張を全否定することさえあった。それでも、わたしたちはお互いに話をすることをやめない。

 そうしていくなかで、わたしは少しずつやさしいものいいをするようになり、その人は少しずつ明確な文章を書いて寄越すようになった。わたしたちは今も、一緒に成長している。

 

 わたしは、いまでもその人を頼る。その人もわたしを頼る。

 その人の次の舞台は、多分わたしは見られない。その人が客席を向く時、わたしも別の小さな聴衆に語りかけているだろう。形は全く違う。でも本質は変わらない、そう、信じている。

 

 

2013/8/21

Instagram発「自叙伝紙芝居」に感情移入してみた

 思えば、あのころは、自分のために毎日を生きていた。今は、気がついたら1日が終わる。今のわたしは、他人のために、1日駆けずり回って、這いつくばって、気がついたらもう夜。片道1時間の通勤路。脳を使わずに運転する車の中で、ため息をつくことしかできなくなってしまった。

 他人に振りまわされて、そんな日常が繰り返されて、どんどん上書きされていく。人生の中で、自分のために生きていた時間の割合がどんどん減っていって、自分という生き物が、どんどん磨耗されているのを感じるとき。

 「このままわたし、なくなってしまうんじゃないか」って思う。

 

 だから最近、Instagramで自叙伝紙芝居がやたらと流行る理由がメッチャわかる。

 自叙伝紙芝居っていうのは、いまとっさに思いついた悪口なんですけど。

 

         《まるまる君編〜なれそめ〜》

 

 ってやつ。よくあるよね。いやあるから。ある前提で聞いて。

 

 いや、「編」って何よって。意味わかってつこてんの?って。背表紙編むほど綴らへんやん?いうて、この投稿で完結してまうやつやん?スワイプしてね→って、いうほどスワイプさせてくれへんやん?つうかインスタの仕組みもうみんなわかってるから大丈夫よ?そう、そこの「王道、少女漫画」派。おめめキラキラ、手足スラー。自分に対して「ふわっ」とか「はむはむ」とか「ぽっ」とか「???」とかを躊躇なく使ってヒロイン感を演出するやん?とにかくキュンキュンさせたいやつやん?n番煎じのストーリーにガンガン自己投影していくわりに、心理描写の雑さが玉に瑕なお前のことやで。かといって「自分を美化する勘違い野郎とは一味違いまっせ」派、わきまえてます感を出してきて逆に鼻に付く場合があるよ?ふつうにえげつない描写とかもデフォルメの力で乗り切つつ、赤裸々に語るこのわたしの面白体験談どうよ!?バーン!!つってな?ほんでその亜種よ。「もう人間にするといろいろめんどくせぇから動物でいきますわ!」派の人。お前の魂胆わかってるからな?自分をうさぎとか猫にしてる時点でお察しやから。あと、「絵本風な絵柄でほっこり感を演出しつつ、日々のささやかな幸せを丁寧に描きます」派もウゼェ。もろともウゼェ。

 

 …って思ったりしながら、冷ややかな目で見ていたわけさ。漫画として読むには雑で、日記として読むにはいささかドラマチックな、あの自叙伝紙芝居。ドラマの大ジェスト版というにはたいしたことは起こらない、あの自叙伝紙芝居。そう、ピンときた?

 

 これって全部、全部、ぜーーーーんぶ、「わたしが、わたしのためだけに生きた記憶」だったんだ。つまり、大切だったはずの昔の恋愛とか、大切だった言葉とか仕草とかその時の気温とか天気とか、そういう、きらきらした何かを、何回でもいつでも思い出せるように、なかったことにさせないように、アウトプットして、披露して、証拠にして、残して、そう、大丈夫わたしは、わたしの人生はつまらないものなんかじゃなかったって、言い聞かせて確認してるんだ、って、わかってしまって。

 

 もし「自分のためだけに生きた記憶」がどんどん薄れてって、なかったみたいになって、自分のきらきらも美しかったはずの思い出も全部なくなって、そしたら、わたしもなくなるのかなって。こうして消化試合的に進んでくのかなって、すごくセンチメンタルな立冬

 …はあ、わたしみたいな人っていっぱいいるんだろうな。

 (マグカップに入ったココアをふうふうしながらもちろん萌え袖で)

 

 紙芝居のひとつひとつの内容には感情移入しないけど、それを書いている人の今のしんどさっていうか、やるせなさっていうか、この安定感の退屈さっていうか、そういうものにはすごく共感してしまって。なんや、いっしょやんけ、って、思うなど。

 で、だいたいそういうのには「絵の練習として書いていきます!」とか「大好きな人たちの話です」とか書いある。自叙伝を披露することに対する気恥ずかしさから、なんとか理由をつけて逃れようとしているんだよね。その、気持ちも、わかる。わかっちゃう。

 

 で、わたしがこのブログを書いてるのもだいたい同じ理由だから、「自叙伝紙芝居」って、悪口を言っている場合じゃなかったりするんでした。いえーい。

 

 

「反対は、自分でね」

 

 今でこそ、長期休暇のたびにいそいそとネイルサロンに通うわたしであるが、大学を卒業するまでずっと深爪だった。ものごごろついた時から爪を噛む癖が治らなかったわたしの指は、いつもささくれでぼろぼろだった。今思えば軽い自傷行為だったと思う。血が出るまでささくれを剥いた。血が出ると、どこか安心感にも似た感情が生まれ、満足して絆創膏を貼った。そんなわけで、わたしはいつも絆創膏を持ち歩いていた。これから話すのは、そんなわたしの、冬の宝物。

 

 冬のある日、もう少しでピアノの試験というときに、その人がわたしの練習室に入ってきた。「どう、調子」その人がドアを開けたから部屋の温度は少し下がったはずなのに、暖かく感じた。実は少しだけ、あなたが来るのを待っていた。わたしは、答えた。「まあまあかな」その人が、わたしの手の絆創膏を見つけて言った。「滑らないの、それ。」

 わたしはもう古くなり始めていた絆創膏を剥がしながら答えた。「まあ、いつものことだから」少し不機嫌になりかけていた。見られたくなかった。「ふうん。かわいそう」わたしは慌てて後ろを向き、手を隠した。「わかってるよ」もともと手が小さく、指先も丸い不恰好な手で、わたしはそれらがあまり好きになれなかった。ささくれや深爪でさらにぼろぼろで、そんな手が恥ずかしかった。

 「ごめんごめん、ちがうって」その人がごく自然にわたしの手を取って言う。

 「ほったらかしにされてかわいそうっていう意味」普段わたしは他人に触れられることに抵抗があるが、そのときは不思議と嫌悪感はなかった。手に取ったわたしのささくれや深爪をまじまじと見ながらその人は続けた。「クリームとか、塗らないの」わたしの手を見つめるその人の睫毛が長い。どきどきしているのを隠したくてそっけなく答える。

 

 「買ったことない。べたべたするのが嫌で」「嘘」「本当だよ。だってピアノが弾けなくなっちゃうし」「ふうん」その人と目が合う。やめて。見ないで。「じゃあ、これあげるよ」そう言って、その人はわたしの手をそっと離し、黒のリュックの小さなポケットから、クリームを取り出してわたしに差し出した。「いいよ。塗り方も知らないし。使わないかも」わたしは目をそらして言った。手を、離さないでほしかった。「うそ」その人がくすくす笑う「そんなことある?」そう言って、その人はクリームの蓋を開けた。ぱちん、と小気味いい音。「こうやってね」と、その人は説明しながらわたしの手をまた取った。「まず手の甲に出す」均等な太さの、白いクリームがわたしの手の甲に乗る。すこし冷たい。「で、塗る」わたしより大きな両手で、わたしの左手に擦り込んでいく。「特に爪のはえてるところが大事」そう言って、指の一本一本を、丁寧に包んだ。冷たかったクリームは、その人の体温で溶けて、わたしの手にすぅっと馴染んでいく。息が、止まりそう。ずっとこうしていて。

 

 

 「はい」

 

 

 はっと、その人を見ると、その人は美しく笑った。

 

 「反対は、自分でね」

 

 それから、わたしは毎年同じクリームを買う。

あの日の思い出は、わたしの冬の宝物。

 

130分47秒

 その人と電話をすると、自分の考え方や生き方がはっきりする気がする。その人自身がはっきりとした「こうありたい、こう生きる」を持っているから、それに影響されて少し考えてみるからかもしれない。迷ったときは電話して話をきいてもらったり、「何か喋って」と無茶な要求をしてその人の困った声を聞いたりすると、すこし安心する。その人は、しばしば扱いづらいと言われるわたしの性格をよくわかっていて、電話する前はしょげていたわたしを見事に元気にした。

 

 その人は、珍しく悩んでいた。正確にいうと、珍しく、自分が悩んでいるということを打ち明けた。実際に会わなくなって、電話でだけ話すようになって、お互い弱音を言いやすくなったように思う。その人は「自分の生き方が壊れてしまいそうで、こわい」と何度も繰り返した。その人は、しかし、その変化のこわさを、楽しんでいるように聞こえた。誠実で真面目なその人が、堪え難い罪悪感に揺るがされる様子は、側で見ていたいと思う反面、決して見たくないとも思う。

 

 その人は「自分はニンゲン最後の砦だと思っている」と言った。「もともとニンゲンがすきではない」とも言った。その人は、ニンゲンの怠惰で不誠実で汚くてどうしようもない部分を憎んでいるようだった。

 わたしはなぜだかすこし緊張して「わたしと逆だね」と言ってみた。その人は、わたしの手の中で熱くなった携帯電話の向こうで、わたしが話すのを黙って待った。携帯電話の向こうからは、絶えず風の音がしていた。扇風機の傍にいるのだろう。「わたしは、」すこし間をあけて話した。「わたしは、ニンゲンの怠惰で不誠実で汚くてどうしようもない部分をかわいいな、と思う。大げさに言えば、愛おしいと思う。なぜなら、わたしにも怠惰で不誠実で汚くてどうしようもない部分があることを、毎日実感しながら生きているから。わたしは、たぶん、自分をすきでいつづけるために、あなたが憎むニンゲンを許そうと思うのかもしれない」わたしは、じっと扇風機のノイズをきいた。その人が黙ったままだったので、話を続けることにした。「あなたは、だから、わたしと逆だね。ニンゲンをすきでいつづけるために、自分を律して正しく生きようとするんだ」その人は、ずっと黙ったままだった。わたしは、ニンゲンをすきでいつづけるために苦しむその人の姿を、愛おしいな、と思った。

 

 「変な奴」その人はぽつりと言った。「わたしのこと?」「そうだよ。」「あなたこそ。真面目な変人」その人は「的確な説明だね」と言った。わたしは少し物足りなくて「でも、どういう変か説明しないとわからないよ。変って、いろんな変があるから」と言った。その人は少し考えてから「あなたは自分にとって特殊な存在だから、主観でしか語れないよ」と言ったので、わたしはこそばゆい気持ちになった。わたしは、わたしにとってもそうだよと伝えるか一瞬迷って、やめた。喉が渇いたから、コーヒを淹れることにした。

 

 私たちは、友達だ。でも普通の友達とはちがう。わたしたちはしばしば人生について語り合い、「こんな話をするのは、こんな話ができるのは、あなただけだよ」と言い合って、お互い存在意義を確認する。たまに電話して、わたしが「電話の方が、正直になれる気がする」と言うと、その人は「違うよ、たぶん久しぶりに話すからじゃないかな」と答える。しかし、わたしは、わたしの場合において、電話のほうがいいということを知っている。会って話すとすこし緊張するのだ。すきでいつづけてもらうためにどう振る舞うべきか、というわたしにとっての永遠の課題が、わたしの頭の中の一割くらいを占め、素直な思考を邪魔をする。だから、このままお互いの声と、お互いの部屋のノイズ、例えば扇風機の風の音やコーヒーメーカの音を、交換するこの形がわたしにとって一番心地いい。

 

 その人は思い出したように「お風呂に入るね」と言って、驚くくらいにあっさりと電話を切った。わたしはすこし寂しくなって、わざとひとりでいじけてみた。それからふと思いついて、深夜の13047秒の通話が果たしていくらになるのか調べてみることにした。しかし、自分がどういう契約内容のもとにその携帯を使っているかということを把握していなかったので、結局いくらかわからなかった。

 

2013/8/21