130分47秒

 その人と電話をすると、自分の考え方や生き方がはっきりする気がする。その人自身がはっきりとした「こうありたい、こう生きる」を持っているから、それに影響されて少し考えてみるからかもしれない。迷ったときは電話して話をきいてもらったり、「何か喋って」と無茶な要求をしてその人の困った声を聞いたりすると、すこし安心する。その人は、しばしば扱いづらいと言われるわたしの性格をよくわかっていて、電話する前はしょげていたわたしを見事に元気にした。

 

 その人は、珍しく悩んでいた。正確にいうと、珍しく、自分が悩んでいるということを打ち明けた。実際に会わなくなって、電話でだけ話すようになって、お互い弱音を言いやすくなったように思う。その人は「自分の生き方が壊れてしまいそうで、こわい」と何度も繰り返した。その人は、しかし、その変化のこわさを、楽しんでいるように聞こえた。誠実で真面目なその人が、堪え難い罪悪感に揺るがされる様子は、側で見ていたいと思う反面、決して見たくないとも思う。

 

 その人は「自分はニンゲン最後の砦だと思っている」と言った。「もともとニンゲンがすきではない」とも言った。その人は、ニンゲンの怠惰で不誠実で汚くてどうしようもない部分を憎んでいるようだった。

 わたしはなぜだかすこし緊張して「わたしと逆だね」と言ってみた。その人は、わたしの手の中で熱くなった携帯電話の向こうで、わたしが話すのを黙って待った。携帯電話の向こうからは、絶えず風の音がしていた。扇風機の傍にいるのだろう。「わたしは、」すこし間をあけて話した。「わたしは、ニンゲンの怠惰で不誠実で汚くてどうしようもない部分をかわいいな、と思う。大げさに言えば、愛おしいと思う。なぜなら、わたしにも怠惰で不誠実で汚くてどうしようもない部分があることを、毎日実感しながら生きているから。わたしは、たぶん、自分をすきでいつづけるために、あなたが憎むニンゲンを許そうと思うのかもしれない」わたしは、じっと扇風機のノイズをきいた。その人が黙ったままだったので、話を続けることにした。「あなたは、だから、わたしと逆だね。ニンゲンをすきでいつづけるために、自分を律して正しく生きようとするんだ」その人は、ずっと黙ったままだった。わたしは、ニンゲンをすきでいつづけるために苦しむその人の姿を、愛おしいな、と思った。

 

 「変な奴」その人はぽつりと言った。「わたしのこと?」「そうだよ。」「あなたこそ。真面目な変人」その人は「的確な説明だね」と言った。わたしは少し物足りなくて「でも、どういう変か説明しないとわからないよ。変って、いろんな変があるから」と言った。その人は少し考えてから「あなたは自分にとって特殊な存在だから、主観でしか語れないよ」と言ったので、わたしはこそばゆい気持ちになった。わたしは、わたしにとってもそうだよと伝えるか一瞬迷って、やめた。喉が渇いたから、コーヒを淹れることにした。

 

 私たちは、友達だ。でも普通の友達とはちがう。わたしたちはしばしば人生について語り合い、「こんな話をするのは、こんな話ができるのは、あなただけだよ」と言い合って、お互い存在意義を確認する。たまに電話して、わたしが「電話の方が、正直になれる気がする」と言うと、その人は「違うよ、たぶん久しぶりに話すからじゃないかな」と答える。しかし、わたしは、わたしの場合において、電話のほうがいいということを知っている。会って話すとすこし緊張するのだ。すきでいつづけてもらうためにどう振る舞うべきか、というわたしにとっての永遠の課題が、わたしの頭の中の一割くらいを占め、素直な思考を邪魔をする。だから、このままお互いの声と、お互いの部屋のノイズ、例えば扇風機の風の音やコーヒーメーカの音を、交換するこの形がわたしにとって一番心地いい。

 

 その人は思い出したように「お風呂に入るね」と言って、驚くくらいにあっさりと電話を切った。わたしはすこし寂しくなって、わざとひとりでいじけてみた。それからふと思いついて、深夜の13047秒の通話が果たしていくらになるのか調べてみることにした。しかし、自分がどういう契約内容のもとにその携帯を使っているかということを把握していなかったので、結局いくらかわからなかった。

 

2013/8/21